〜神に捧げる 神と舞う〜奥三河の花祭
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下黒川の花祭
花祭の特徴 360°パノラマビュー 次第の解説 榊鬼のバーチャル写真館 開催期間と詳細マップ
花祭の特徴
起源は明らかではありませんが、文禄二年(1592)の「花祭の次第」が残されており、慶長六年(1601)に熊谷将監より榊鬼面が奉納されています。
 また、寛永六年(1639)に、しずめ火王面が寄進されています。
 このころから寛文年間にかけて、下ノ村に法印福寿院(万蔵院の父)が在住しており、花祭や神楽に影響があったと考えられます。
 宝暦七年(1757)に七番様といわれる鬼面が、安永三年(1774)に青鬼面が奉納されています。
 寛政のころ、桧皮野地内の共有山に植林を行い、神楽のための多額の入費に備えて神楽林を設けました。
 戦国時代には兵・馬の徴発により食糧不足となり、伝染病が蔓延し肉親や近隣の人々が死亡していきます。
 このような凶事は悪霊のなせる仕業と考えられ、これを祓い除き、生まれ清まり、生命力再生、無病息災を祈願し行われたものであります。
 神楽には多額のお金と物資が必要であり、豊作の年にしかできなく不定期になりがちでしたが、神楽を省略して一日一夜の恒例祭として「花祭」として現在まで続いており、昭和51年に国の重要無形民俗文化財の指定を受けました。
 江戸時代、花祭は旧暦の11月16日に行われていましたが、明治以降、太陽暦の実施により、正月となり1月5日、7日と変更され、現在では12月25日から12月30日まで舞の練習が行われ、1月2日から3日にかけて行われています。
 下黒川の花祭は、大入系であり太鼓の拍子も舞においても、他の地域と違い激しいものとなっております。
知っておきたい豆知識
舞庭(まいど)
舞庭(まいど)
 花祭は舞庭と呼ばれる、四隅の柱に榊を立てた三間四方の土間で行われ、中央に大きな釜を据え湯を沸かし、天井には湯蓋、舞庭全体に張られたしめ縄に、「ざぜち」「四垂れ」と呼ばれる切り紙の飾りを吊るし、この舞庭で祓い清めの儀式から、地固めの舞、一の舞、花の舞、山見鬼、三ツ舞、榊鬼、祢宜・巫・翁・すりこぎ、湯立て、湯ばやし、四ツ舞、朝鬼、獅子などの舞が夜を徹して行われます。
湯蓋(ゆぶた)
湯蓋(ゆぶた)
 舞庭の中央釜の真上に飾られる方形の天蓋状のもので、白紙又は五色の紙が使われ、神々の宿る所とされ、所により違いがあります。
 色々な祭具の組み合わせにより構成され、びゃっけと神道又は千道で結ばれます。
ざぜち
ざぜち
 白紙を絵型、字型に切り抜いたもので、舞庭に張られたしめ縄に四垂れを吊るし、その間に吊るすものであるが吊るす順番は決まっておりません。