〜神に捧げる 神と舞う〜奥三河の花祭
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上黒川の花祭
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花祭の特徴
花祭は中世の末期頃からこの地方でおこなわれていたものと思われます。
 記録では天正九年(1581)に御神日記が、文禄二年(1592)には花祭の祖形と思われる「花祭次第」が残されており、また慶長年間に入れば面型や神楽の記録が残っています。

 このように400余年も「花」や「神楽」が、なぜ行われてきたか考えてみると、現在のように文化の進んだ時代と異なり、戦国時代には兵・馬の徴発により食糧は不足し、伝染病は蔓延し、戦争により肉親や近隣の人たちが死亡していきます。このような凶事は悪霊のなせる仕業と考えられ、これを祓いのぞき、生まれ清まりの祈願をすることにより、無病息災と五穀豊穣を祈り、死者の供養を行う以外には、方法がなかったと思われていました。
 ところが、この神楽の執行には多額の金と物資が必要であったので、豊作の年しかできなく、不定期になりがちでした。それ故、神楽を省略して一日一夜の恒例祭として「花祭」が行われてきたと考えられています。

 この花祭が国の重要無形民俗文化財として、昭和51年に国の指定を受け今日に至っています。

 昔は旧暦11月14日に行われてきた霜月神楽でしたが、明治以降の施策である「廃仏毀釈」の影響を受けて大きな変化をし、太陽暦の実施や行政機関の休日等により1月5日となり、現在は1月3日の夕刻より、翌4日の10時頃まで行うようになりました。
知っておきたい豆知識
舞庭(まいど)
舞庭(まいど)
 花祭は舞庭と呼ばれる、四隅に柱が立てられた3m四方の土間で行われ、中央に大きな釜を据えて湯をわかし、天井には湯蓋、四方に「ざぜち」と呼ばれる切り紙の飾りをつるします。
 この舞庭で、祓い清めの儀式から、地固めの舞、市の舞、三ツ舞、四ツ舞、湯ばやしなどの激しい舞が夜を徹して行われます。
湯蓋(ゆぶた)
湯蓋(ゆぶた)
 舞庭の中央釜の真上に飾られる方形の天蓋状のもので、白紙又は五色の紙が使われ、神々の宿る所とされ、所により違いがあります。
 色々な祭具の組み合わせにより構成され、びゃっけと神道又は千道で結ばれます。
ざぜち
ざぜち
 白紙に字型、絵型を切り抜いたもので、神部屋、神座、舞庭の四方に吊るします。
 20種類以上もの型があり、吊るす順序は決まっていません。